私の周りの友人、仕事仲間たちから自由テーマで
「思う事」を書き連ねてもらっております。
のんびりと更新していきます。

中村はこんなことを考えている人たちと仕事したり
飲んで騒いだりしています。
そんなコーナー。

<新しいものから上に表示されています。>

●山本 タカアキ/ YAMAMOTO Takaaki 「CDを買いに行きたい。」

●藤 寛文/ FUJI Hirofumi 「イタリアへ行きます」

●太田 あや/OTA Aya 「ミニ・ミーと踊る。」

●榎本 文恵/ENOMOTO Fumie 「最高の『たまたま』」

●入江 悠/IRIE Yu 「HIPHOPと中村先生と私の形而上学的関係について」

●宮川 舞子/MIYAGAWA Maiko 「お気に入り」

●酒井 雅明/SAKAI Masaaki 「中村くんについて」

●原 航介/HARA Kousuke 「ブランド」

●上田 万由子/UEDA Mayuko 「燻し金」
スタジオエンジニア/サウンドデザイナー
のっぽパン
「CDを買いに行きたい。」
おそらくCDを沢山買い始めたのは高校生の頃。
小室ファミリーだの渋谷系だのアシッドジャズだのが流行っていた時代。
バイト代はほとんどCDに消えていった。
学校帰りには途中下車、「やまがた楽器」に行き浸り。
店の奥では楽器、手前ではCDを売ってる店で
売り場のギターをさんざん触ったりして楽器売り場の兄ちゃんと遊んだり、
CD売り場のお姉さんが「趣味が似てるから」とテープ作ってくれたりした。
甘酸っぱい思い出。

今ではそんなに頻繁にCD屋にも行けないためどうしてもまとめ買い。
休日。
ゆっくりと時間をかけ、店内をうろうろ回り、試聴をしたり。
そして、厳選した数枚を購入し帰宅。
そのまま酒なんぞ飲みながら、聴く時間があれば最高。
そうこうしてるうちに大概買い忘れに気付き、後悔したりするおまけ付き。

そんなこんなで最近はパソコンのおかげで、買ったCDは片っ端からHDへ。
すぐに探せるし、すぐに聴けるし、すぐに持ち出せる。
便利な時代になったものよ。
ともあれ「買ったCDは売るもんじゃない」となぜか昔から頑に想っているため
CDは溜まる一方である。

大学時代、中村隆太郎氏と「お互い先に死んだ方が相手のCDを引き取る」ような
遺言めいた約束をした事があったが、氏のコレクションを引き取るのは正直大変そうなので
とりあえず「お互い好きなの好きなだけ持ってっていいよ」っていう形にしない?。
大学5年(2006年6月現在)
主に助監督など。でも、一応…監督志望。
自転車や車で女の子を追い越した時。
顔を確認するかしないかで、ドキドキする事。
もしかしたら絶世の美女かもしれないと、
必ず振り返って確認する毎日。
「イタリアへ行きます」
2006年9月から、イタリアへ行きます。
しばらく向こうで生活するつもりです。
「なにしに行くの?」と聞かれますが、その質問がとても嫌い。
なんとも愚問であるように感じます。
それは、ある文芸賞の審査員が、作家に対して
「この文章の中身は読み難い漢字が多すぎて、辞書片手でないと読めないね。」
と批判したのと同じ位愚問です。

何をしに行くのか。

それは向こうで発見する物でありたいのです。
今までにも何度かイタリアには滞在しています。
しかし、その度に、新しい、刺激的な発見がある訳です。
それは向こうに滞在した人間でなければ決して感じられる事は無いと思います。
日本がダメな訳ではありません。
ただ、日本では感じられなかったであろう、感動を心底から得る事が多いのです。
だから日本で「〜を観に行く!」とか「〜を勉強しに行く」などと
決められる物ではないのです。
だって、予想外の物ばかりだから。
あえて言うとすれば、それは「空気を吸いに行く」ですかね。

時間にしばられたり、焦る気持ちはありません。
世界に出てみて感じたのは、
「いくつになっても、人生を楽しく生きられればそれでいい。」
という事です。
鬱なんて流行らないっすよ、人生楽しい毎日です。
編集者とか。
リリー・フランキーの小説。
『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』
最近読んで、すごくすごく好きになった本
「ミニ・ミーと踊る。」
「唯一興味があるのは外国のこと。もちろん高校留学だってしたい。」
うん。うん。
「でも両親が否定するから前に進めない。」
そうかあ。
「お金のかかる夢だっていいじゃないって思うんです。」
目の前で話す女子高生が、高校時代の自分とオーバーラップして、
言葉の1つひとつに強くうなずき、哀しくなり、頑張れ頑張れと応援していた。

仕事でよく高校生に会いに行きます。
そのせいか、高校生だったころの自分を思い出すことが増えました。
わたしは、日本海沿岸の小さな漁師町の高校生でした。
一目ぼれした体育教師に夢中で、放課後は、友達と毎日パンをかじりながら、
純情なくせに卑猥な話ばかりしていました。
本当の自分なんてまだ全然分からなかったから、その分気だけ大きくて、
変な夢を持っていました。
その変な夢を親に反対されたときに、自分の存在を否定されているようで、
「平凡になれ」と言われているみたいでとにかく悔しかった。
そんな悔しさを持て余して、いつも日本海を眺めてばかりいました。
いつかきっとこの海の向こうに行くんだって、そのいきつく先は朝鮮半島なのに、
自分の世界があるんだって強く強く思っていました。

それから干支が一回りしたあとの高校生は、両親の経済状況ばかりを気にする子だったり、
やさしすぎて将来は女の子に振り回されそうな子だったり、
現実逃避をしながら強がっている子だったり、悩みなんてないって言い切る子だったり。
みんなそれぞれなんだけど、共通して、元気がないのです。どことなく。
そんな彼らと話していると、もっとがんばろうよとか、気合だよ気合などと
柄にもない応援フレーズばかりが口から出そうになります。

一緒に会いに行っている少しだけ年上のカメラマンさんは「時代なんですよ。」と言います。
どこか達観していて、覇気がなくて、がんばりたいけどがんばれなくて。
そんな高校生がたくさんいる時代。

会いに行くたびに毎回、「こんなんでいいのかなあっ」て
わたしの元気もどんどんなくなっていきます。
それでもわたしは高校生に会いに行っています。
期待しているのです。
いつか、オースティンパワーズのイーブルがクローンのミニ・ミーと楽しく踊るように、
自分の小さな分身と同じ言葉で楽しくお話をできるんじゃないかって。


だからわたしは高校生に会いに行っています。

某通信システム会社でバリバリ働く人。
10月からロンドンっ娘。
鼻パック
「最高の『たまたま』」
ワタシは今までいろいろな「たまたま」に出会いました。
中村隆太郎もその「たまたま」の一人です。

大学時代、たまたま酒井雅明(下記参照)と同じクラスになり、
たまたま話をし、
たまたま仲良くなり、
たまたま中村隆太郎を紹介され、
たまたま仲間に入れてもらいました。

そんなたまたまを経て、今日まで至るわけです。
このエッセイに紹介されている面々の中にも
その「たまたま」で出会った、怪しくゆかいな同級生たちがいます。
(もう10年かぁ、歳もとるわな・・・)

さて、この「たまたま」、良い「もの」になると、おもしろいもので、
何年何十年経っても、その当時の色が褪せる事はありません。
もちろん、、多少形がゆがんでしまったり、
色褪せてしまったり、失ってしまう事もあったりはするのですが。
幸か不幸か、隆太郎の「たま」の場合、未だにきれいな形、色を留めています。
何色かといわれると、難しいですけどね。
そーいえば、お互いその「たま」を
白か黒の色にさせるような事もなかったと思います。
何度も白黒はっきりさせる程、仲がいいとは言いますが、
それ以上に“ワタシ”が優しいんです、きっと。
ま、まれに、グレーになってみたりする事はありますが…。

隆太郎の「たま」といえば、、、
彼の「たま」、顔の大きさに似あわず、意外とちっちゃいんです(笑)
度胸のある事をするなと思えば、後でちょっと後悔してみたり、
バカな悪戯をしたかと思えば、一目散に逃げだしたり、
ひどい事を言った後で、こそっと謝ってみたり、
ちっちゃくってかわいい「たま」です。
でもそのちっちゃい「たま」ね、とっても澄んだ色をしてるんですよ。
いつでもまっすぐ前の見えるような、澄んだ色。
彼とずっと友達でいられるのは、そんな「たま」に
私が魅力を感じているからかもしれません。

彼の「たま」と出会ってから、本当にいろんな事を経験させてもらっています。
もちろんいい事ばかりではありません。
まっすぐすぎるが故に、不器用な所もあって、たまに人を傷つけちゃう事もある。
でも、本当に素敵な「たま」だなと思います。

おじいちゃんになっても、その「たま」のままでいてくださいませね。



注!本当の「玉」は奥様だけのものにしとくんだよ!悪しからず♪
映像作家
ノライヌフィルム→http://www.norainu-film.com/
タモリ
「HIPHOPと中村先生と
私の形而上学的関係について」
先生には本当にお世話になりっぱなしである。
どれだけ先生にお世話になったか、ということをここで列挙する事は
賢明でないので敢えて避ける事にするが、
私のここ最近の人生において先生の影響たるや正にアメリカと日本のそれ、
いやそれ以上だと言って差し支えないだろう。
国連やEU諸国の関係など足下にも及ばないのである。
いわんや東アジア諸国の関係の脆弱さをや、である。

思えばこの2年間で先生とは一緒に様々な所に行脚したものである。
北海道は日高へわざわざ馬を見物に行った事もあるし、
徳島くんだりまで渦潮を見下ろしにいった事もある。
その様々な要所で先生の神業的な仕事ぶりを見るにつけ、
ああ俺はまだまだ駄目だなと呟く自分を発見することになる。
まさに驚異的な仕事ぶり。人間離れした睡眠時間の切りつめ方。
そして飽くなきエロスへの探求精神。影響されない人間などいるはずがない。

そんな多忙を極める先生が、僕ごとき属国の言動に目をくれる暇など
あるはずがないにも関わらず、一度だけ注意を払ってくれた事がある。
それがどこであったか記憶が定かではないのだが、
それは僕が数枚のCDを不注意にもカバンから出した時であった。
いつもならどんな暇な時間でも脚本のネタ探し、企画の構成、営業先の開拓、
に専心されているはずの先生の瞳がその時ばかりはギラリと輝き、
僕の出したCDに視線が注がれたのである。タイトルは失念してしまったが、
確かその数枚のCDはHIPHOPと呼ばれるジャンルのものであった。
それからである。
ことあるごとに先生がHIPHOPのCDを僕に下さるようになったのは。

古今東西、過去の傑作から現代の隠れた名曲まで、
先生が下さるHIPHOPのCDは枚挙にいとまがない。
その網羅の仕方はまさに全方位。いわば全方位型HIPHOP求道者。
最近はユルめのが好きなんですよね〜と呟けば、
その次にお会いした際にはユルさ全開のオリジナルコンピレーションを、
ストリングスのネタ使いが自分的にはグッとくるんですよ〜と呟けば、
まさにストリングス使いの名曲集がわざわざ先生の手によって選曲され手渡されるのである。
その瞬間における先生の温かく慈愛に満ちた眼差しは、まさに教育者のそれ。
ほら、世界にはこんなに素晴らしい音楽が存在しているんだよ、と
幾分控えめに、しかし確固たる自信の裏付けを伴ってキラキラと僕に注がれる。
わざわざ貴重な企画書用のCD-Rをさいて、
時にはオリジナルのジャケットまでつけてである。
そんな人間の出来た教育者に僕はいまだかつて出会ったことがない。
まさに文科省推奨型HIPHOP教育者。

白状させて貰えるとしたら、確かにそんな先生の愛情を受け取りきれなかったこともある。
しかしそれはすべて僕の不勉強さゆえ。
そして僕の生まれついてのリアクションの薄さゆえ。
拝聴したCDへの僕のリアクションの薄さを
その鋭い洞察力で見てとられた時の先生の悲しげな瞳はいまでも忘れない。
情熱に満ちた教育者の慈愛を裏切った時のあの罪悪感。
今でもトイレなどに入るたびに思い出してキリキリと胃が痛む。
本来ならばここに懺悔の言葉を書きしたため、
先生への尊敬・愛情・忠誠の証しとさせて頂くべきであるが、
残念なことに紙面がもう尽きたので割愛させて頂く。
Photographer
ホームページあります。
...
「お気に入り」
私のお気に入りは、
ケータイ付きカメラ。
98年から日々の記録としての写真を撮っている。
最初は、その日あった人を撮って、私もその人に撮ってもらう、
ということをしていたが、撮ってもらうのがめんどくさくなり、
途中から私が一方的に撮るだけになった。
貧乏だからオリンパスペンのハーフサイズを使用し、
どんな辺境地にも持ち歩いていたから、1年くらい前に
ついに4代目が壊れた。
以後、コレじゃイヤだなと思いながら、
使い捨てカメラと同じ性能の使い捨てじゃない、
どこかでもらったカメラを使っていたが、
先月ケータイを新しくしたついでに、
それについているカメラで撮ることにした。
これがとてもおもしろい。
ボタンをおしてもシャッターのようなものがきれるのは0.7秒後くらいだから、
その僅かな先読みをする楽しさ、
「そんなので撮らないでよ」と思ってそうな友人にケータイを向けるスリル、
「カメラマンがそんなの使うんですか」と突っ込まれそうな複雑な小心境。
仕上がりは、いかにもケータイで撮りました感たっぷりである。
私の日々の記録の中で、その感じだけが唯一の時代性となっている。
シナリオライター

『バッファロー5人娘』
安野モヨコさん原作のマンガです。
とってもクールでかっこいい西部劇。
「中村くんについて」
中村くんとは、10年来の付き合いになります。
わりと、長い付き合いです。
その始まりになった、出会いの日について、お話しします。

その朝、いつものように、電車で高校に向かっていました。
とてもぎゅうぎゅうの車内で、突然となりの人が声をかけてきました。
「君、サカイくんだよね?」
ハイ? と思って、声の主を見てみる......全く知らない人。
あんた誰? って感じの人......顔、デカイし、目、細くて怖いし。
とは言え、あの頃も今も、天然パーマ全開のぼくだって十分、怪しい人間です。
そんなぼくに声をかけちゃう、この不審人物......。
「サカイくんって、映画好きなんでしょ?」
ぼくの頭の中はグルグル回る。
ああ、どうしてこの人は、ぼくの名前を知っているんだ?
ああ、しかも、どうして映画が好きだと知っているのか?
ああ、そもそも、どうしてこの人はこんなに馴れ馴れしいんだ?
そして、ぼくは「いっしょに映画、作らない?」と誘われたのでした。
自閉気味で友だちの少なかったぼくは、その申し出を快諾しました。
これが中村くんとの初めての出会いでした。

最近になって、あの時、誰にぼくのことを聞いたのか尋ねたことがありました。
しかし、彼は何も覚えていませんでした。
驚くことに忘れていたのは、“誰に聞いたか”だけではありませんでした。
あの電車で突然、ぼくに声をかけたことさえ、全くもって忘れていたのです。
忘れるか、ふつう? 心が病気なのか? この人は?
それが10年もの付き合いになるなんて。
全く、不思議な縁です。

それでも今思うと、ぼくがシナリオライターを目指すことになったのは、
彼が高校時代に声をかけてくれたことがきっかけでした。
もちろん、遊びで映画を作っていた学生の頃から
本気でプロになろうなんて思っていたワケではありません。
でも、何だか気が付くと、そんな世界にいっしょに足を踏み入れていました。
そして、この世界を知って間もない身ではあるけれど、
中村くんほど信頼できる監督はいないのでした。

......う、気持ちわる。

別にヨイショしたいワケじゃないんだ。
むしろ、ヨイショしたらダメなんだ。調子乗るし。
いっけね。
監督としては信頼してるけど、ついでに言うと迷惑かけたりもしてるけど。
人間としては、やっぱり危篤だし、おかしいよ。
それだけはこの場を借りて、声を大にして言わなくちゃ。
 
 
                              おしまい
1975年生まれ。独身。某車会社勤務
趣味:サーフィン、仕事

私にとってのラーメンブランド:二郎


●「69」(再燃!)  著者:村上 龍
●「人生楽しんだもの勝ち」

「ブランド」
あなたにとってのブランドは何か? 

世間一般的にブランドといえば、「ルイ・ヴィトン」や「SONY」、「メルセデス・ベンツ」だったりするのだろう。ただこれらのブランドが響かない人たちも大勢いる。正確に言うと、「別にいざ自分が所有するなら、どうしてもこれらのブランドである必要はない」と思ってる人が大勢いるという事だ。彼らは、他のメーカーの皮製品、電化製品、車でも代用が利くと思ってる。
もしくは、違うカテゴリのモノに「こだわり」を持っているため、これらのブランドは「重要でない」と判断するからであろう。

結局、人それぞれモノに対するこだわり(=価値観)が違うはずだから、想う「ブランド」も違ってくるという事だ。あなたにとっての車のブランドは「フォルクスワーゲンの昔のビートル」かもしれない。

反面、特に日本人はまわりを気にしすぎる傾向がある為、「とりあえずこのブランドを持っておけば安心、安心。」などと、なんちゃってステイタスや安心感の獲得、または「ハズしたくない」からいわゆるみんなが認めるブランド品を持ちたがる。
そう、世間一般的に「ブランド」になるには、最大公約数的に彼らが「憧れ」たり、「憧れ」→「購買」するから、世間一般的に「ブランド」になれるのである。
では、なぜそもそも彼らが憧れるブランドになっているのか? 
言い換えれば、どうすれば他の製品じゃ代用が利かないブランドになり得るのか? 
その答えは、「あなたにとってのブランドは何か?」にある。
例えば、コンビニでアイスを買うとする。「ガリガリ君」や「彩」ではなく、少々値段は高いが「ハーゲンダッツ」じゃなきゃ駄目な人は多いだろう。なぜか? 
「自分にとってムチャムチャおいしいアイス」だからだ。
そう、「中身」を伴っているからこそ、人々からこだわりを持って想われるブランドになるのである。
値段が高くても、競合製品に打ち勝つ「中身」を「ハーゲンダッツ」は持っているからである。
「ルイ・ヴィトン」も「SONY」も「メルセデス・ベンツ」も高いが、最高のクオリティ、サービスを兼ね備えた中身のある製品だから「ブランド」となったのである。

私の仕事は「ブランドマネジメント」なのだが、よく人に仕事内容を質問される。『ブランドの仕事って、広告とかデザインとかロゴとかやるの?もしくはイメージ戦略?』みたいな。ハズレではないが、残念ながら当たりではない。本質を突いていない。
ブランドマネジメントの仕事は、「どうしたら人々からこだわりを持って想われる、中身のあるブランドを確立する事ができるか?」をミッションとし、その為のサービス指針を作り、中身自体をもプランニングする事である。これが私の仕事内容である。その手法として、マーケティングがあったりする。
余談だが、広告やデザインは、その中身をどう効果的に人々に伝えるか?がミッションである。
広告を作る人間は、その中身をよく理解し、どういうターゲット層を狙い、どうしたらその製品特徴をうまく表現できるかを考えればよい。シンプルである。
先日、私のある友人が、「チンタオビール」のイメージキャラクターをデザインして、それを見せてくれた。パンダを模したそのキャラクターを、横にいたもう一人の友人は、「かわいいでしょ?」と言っていた。あとで思ったのだが、「かわいい」とか「かっこいい」とかではなく、あのキャラクターが必要な目的と、「チンタオビール」を買ってほしいターゲット層を考えれば、果たして「かわいいパンダで、しかもビール製品なのにロボット風??でいいのだろうか? 」と思った。感じ悪くてゴメン(笑)。詳しい事は何も知らず書いてしまった(謝)。

さて、我が携帯電話業界に2年後、ナンバーポータビリティという自分の電話番号は変わらず他のブランドにスイッチできる時がくる。我がブランドも本当の真価が問われる。「料金が安い」という価格競争は誰もが参加できるサービスである。安いだけじゃない中身のある、付加価値サービスを考えなければならない。例え、その人の家族や友人がみんなドコモでも、だ。

最後に、あなた自身はブランドか?
その業界において、「あの人にこの仕事を頼みたい。」とか「どうしてもあの人と一緒に仕事がしたい。」と想われているだろうか?少なくても5年後の自分はそうありたい。

そして、ブランドはすぐに確立されるものではない。差別化要素を持ち、且つ、そこに一貫性があり、ポジティブな経験の蓄積をさせる事によって、いずれ確立されるのである。
今からやらねば、5年後に価値ある自分は存在しない。

ラジオ局 TOKYO FMで喋る人。MXTVで喋る人。
土曜日朝5時から8時まで、
番組「GREEN WIND」を生放送中。
自然と戯れたり自然を愛することが
好きな人は聴いてください。

隠れテーマは「エコロジーを楽しもう」

「日本の色辞典」

466色の日本古来の色を植物染料で再現している本です。
自然と共に生きてきた昔の日本人の色の感性に驚かされますよ。

 「燻し金」
満月まであと1日。
夜空に浮かぶ月は、不完全の形のまま鈍い金色の光を放ち、
ぼんやりと輝いている。
静かな夜。月の光が心を照らし出してくれるから、言葉はいらない。
光と影の織り成す世界。しばらく眺めていようかな。

 太古の昔から人は夜空の月を見上げて生きてきた。
満月を見ながら、愛人との満ち足りたひと時を思い出したかもしれない。
闇に消え入りそうな尖った三日月を見上げて、
自分を裏切った愛人の、偽りの優しさを思い出したかも。
まあ、つまりはあれだ。
地上でどんなにシガラミに絡まれながら、泥んこになりながら人間が生きていたって
お空の上では、浮世離れした金色のお月様が「ふふふっ」って笑いながら、
「本当は、あなたの心で揺れているのはこれでしょ。」と
確信をついて心の闇を照らし出す、月にはそんな不思議な力がある。

 着ている服を一枚一枚脱がされていくような、
いつの間にか裸になっちゃっているような、羞恥心と安心の混ざり合う一時。
月を見上げるってそんな感じ、じゃあないですか?
 
 私は、金色が好き。
世界中で金の宝飾品が愛されているのは、
月の金色に魅せられた人間が、あの美しさを手に入れたかったから、
時々、そんなことを考える。勝手な憶測。
それでも本物の月には叶わないことをみんな知っている。

 「燻し銀」という言葉があるが、国語辞典をぺらりとめくったら、
「くすんで渋みのある銀色。派手さはないけれど、実力などが備わっていること。」
らしい。ほほお、年季の入った旅芸人のようだ。
ならば、勝手に名前をつけるとしたら、私が好きなのは「燻し金」。

 スモーキーゴールド。時を経たからこそ生まれる美しさ。
時々、日常の中で「燻し金」に出会う瞬間ってものがある。
雨上がりの街路樹の下で、生い茂る葉の隙間から垣間見える陽の光。
風にさわさわ揺れるたびに射し込む「燻し金光線」に私の心は溶ける。
夕日の沈む海の水面には、繊細な幾重にもなる、燻し金。
頬をつたう涙だって、時には燻し金に輝くよ。
それから、シャンパンの泡も割りと好きな、燻し金。
コルクをあけてもらえる日を待ちわびた、熟成された勢いのある、燻し金。
大好きなもの達に、日常の中で出会えたときほど嬉しい瞬間はない。
私の心も、いつか燻し金な光を放ちたい。
そう、月みたいに優しくゆっくり射抜くような。